※トップ画像:宮城県南三陸町・旧町防災対策庁舎(2022年9月)、筆者撮影(以下同)

2011年3月11日の東日本大震災から12年目の日を迎えました。

色々な場で語ったことがあるのでご存知の方もいらっしゃるでしょうが、私がファクトチェック、情報検証という活動をするきっかけとなったのは、この未曽有の大災害でした。地震・津波・原発事故という三重の災害は、これまでに見たことの無い大規模な被害と混乱を引き起こしました。被災地外に住んでいた私が、何か自分にできることは無いかと思ってTwitterで始めたのが、誤った情報の拡散を食い止める作業でした。

宮城県七ヶ浜町・住宅跡とがれきの山(2012年2月)

地震発生当初、特に目立ったのは被災状況や救援・支援にまつわる話で、公式情報で既に否定されていた情報が、一方では「拡散希望」され続けているというようなことが多々ありました。広範囲に渡る被害の実態はマスコミの報道だけでは追い切れず、ネット発信の情報が頼みの綱となるような地域も実際あっただけに、人々の善意を空回りさせるような誤った情報拡散は黙って見ているわけにはいきません。中には災害対応や支援に奔走する人を不当に貶めたり、特定の集団への差別につながるような危険な誤情報もありました。

岩手県大槌町・希望の灯(2013年3月)

福島第一原子力発電所の事故の状況が明らかになると、日本中が不安に駆られ、原発や放射能に関する多くの怪しい情報が次から次へと拡散されるようになりました。不安や恐怖、怒りといった強い感情に結び付く情報は特に容易に広がります。それまで意識してこなかった見えない物質を気にし、馴染みの無い難しい科学の説明に直面せざるを得なくなった人々の間で、感情的な議論ばかりが好まれるようになったのは無理からぬことだったのかもしれません。

原発・放射能関連の誤情報の拡散は何年も断続的に続きました。これはネット上だけの話ではなく、口コミ、大手メディアの報道、有名人や政治家、政府ですらも時に誤った情報を拡散させていました。「何を信用したらいいのか分からない」という困惑は、あの頃を生きた多くの人に共通する気持ちだったはずです。

岩手県陸前高田市・奇跡の一本松と旧陸前高田ユースホステル(2017年7月)

私は当時たまたま学生という時間に余裕のある身分で(学業の方は全く不真面目でほとんど何もしていませんでした)、ネットに流れる大量の情報を集めたり調査したりすることができたため、そのことを生かして様々な情報の真偽の見極めや訂正発信を行っていました。しかし、普通の人にはなかなかそんな余裕はありません。

人々に代わり情報検証に携わる専門集団が必要だ、という考えが私の中で強くなってきました。海外ではそのような専門機関が既に生まれていたし、日本でもその後「ファクトチェック」という言葉が徐々に注目されるようになってきました。紆余曲折を経て、2022年に日本初のファクトチェック専門メディアとして活動開始したのがこの「リトマス」です。

リトマスのメンバーはいずれも大手メディアの経歴を持たない市民有志です。その高い独立性は、偏りのない公平公正なファクトチェック活動を行う上で大きな強みになっています。一方で、運営面で考えるとこれは大変なハンデであり、リトマスは市民の皆様の寄付を募りながら何とかやりくりを続けている状況です。

福島県いわき市・アクアマリンふくしま(2019年5月)

ファクトチェックは、検証にかかる手間と時間は膨大なのに対し、できあがる記事はなかなか人目を惹きにくいという、実に地味な活動です。現在リトマスでは、安定した活動資金を得るため、そして今以上にファクトチェックを強化するため、マンスリーサポーターの募集キャンペーンを行っています。募集期間は3月15日までと、残りわずかの大詰めを迎えています。是非皆様からのご寄付で、この活動を少しでも長く続けられるよう、そして少しでも多くの人に届けられるよう、お手を貸していただければ幸いです。

3.11の災害で日本中が体験した、情報の正確性にまつわる問題は、今も解決困難な課題として残り続けています。近年の新型コロナ禍やウクライナ侵攻、その他世の中を揺るがす事件・事故・災害などが起こるたび、この問題は顔を出し続けています。震災をきっかけに気付かされたこの大きな社会課題に、私たちはこれからも向き合わなければなりません。

震災以降私は個人的に何度かボランティアや観光などで被災地を訪れ、当時のことを忘れないようにするとともに、復興に向けた現地の努力にできる限り思いを寄せるようにしてきました。被災地は賑わいを取り戻しつつある所もあれば、未だ災害の影響が残っていたり、苦しい状況が続いている場所も多くあります。亡くなった方々のご冥福を祈ると共に、被災地の一日も早い復興を切に願っています。

(大谷友也)