先日読者の方からリトマスに頂いたご意見の中に、スクリーンショット画像の「ぼかし」処理に関するものがありました。

リトマスでは、ファクトチェックの対象となる個人のツイートなどをスクリーンショットで引用する際、アカウント名やアイコンなどにぼかし処理を施すことがあります。しかし、このような加工は言ってしまえばスクリーンショットの意図的な改変になるわけで、記録の真実性を損ねているのではないかというのがご指摘の内容です。

ぼかし処理についてはこれまで特に説明はしてこなかったので、この場を借りてリトマスがなぜスクリーンショットの加工を行うのか、記録としての扱いをどのように考えているか、説明したいと思います。

そもそもファクトチェックの目的は事実に基づく議論の土台を作ること、いわば情報の交通整理です。間違った情報を発信してしまった人にどんな責任があるかとか、その人がどんな罰を受けるべきかといった議論には立ち入らず、常に立場は中立でいなければなりません。その人の特定につながる情報をむやみに晒しては、批判や攻撃を誘導することにもなりかねません。ぼかしによる匿名化は、ファクトチェックはあくまで事実の指摘に留まるものだという原則を守るためなのです。

一方で、ご指摘の通り、ぼかしによって記録の真実性は確かに損なわれます。加工されたスクリーンショットを張り付けるだけでは、そのような投稿が実在することを示す証拠としては不十分です。実在しないアカウントの架空の投稿を捏造し、藁人形の「ファクトチェック」を行うことは原理的には可能です。中立性の維持と真実性の担保は、トレードオフの関係にあるとも言えます。

リトマスでは検証対象の発信を可能な限りWebアーカイブなどで保存し、もし必要になればその発信の実在を証拠として提示できるようにしています。しかし、それも基本的には読者へ提示されない情報です。メリットとデメリット、両面を考えた末の私たちの暫定的な結論がこのぼかし入りスクリーンショットということです。

なお、著名人や公職者のように社会的な影響力や責任が大きい人物の発信の場合、リトマスではぼかしを使わず個人名を明示しています。その人が過去にどんな発信を行い、それの真偽はどうだったのか、個人と結び付けることに意義が大きいと考えるからです。個人でなく団体の場合も同じです。メディアの誤報を取り上げる時に、その名前を伏せるべきだと考える人は少ないでしょう。

とはいえ、どんな人が「著名人」にあたるのか、影響力や責任の大きさをどうやって評価するのかなど、これもまた難しい判断です。また、その気になれば投稿の文面を検索でもすれば情報発信者を特定することは難しくなく、ぼかしにどれほどの意味があるのかと疑問に思う方もいることでしょう。

ファクトチェックメディアの中には一般人の発信も匿名化せず、ダイレクトにリンクを貼り付けているものもあります。最近発足した日本ファクトチェックセンター(JFC)はその方針のようですし、世界を見渡せばアメリカの代表的なファクトチェック団体であるPolitiFactFactCheck.org、世界的通信社のAFP通信などのファクトチェック記事でも、一般人の投稿に対し本人が分かる状態でリンク(Webアーカイブを使っていることが多い)を貼っている所はたくさんあります。

ぼかし処理による匿名化は絶対的な正解ではありません。そのことを私たちは重々認識し、今のやり方が本当に最善なのか、常に考え続ける必要があります。プライバシーを守る意義は感じつつ、この結論に満足し続けるわけではないと表明することで、読者の指摘に対する回答とさせていただきます。

(大谷友也)

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